HOME CULTURE & LIFE COLUMN 40代からの親と子の関係

こんにちは、もっちーです。
最近考えることを少し今日はお話します。
年齢を重ねてくると、だんだんと見えてくるもの、わかりはじめるものってありますよね。

今回はもっちーの親と子の関係をテーマにお送りします。

手術と移住

なぜそんな話かというと、移住の準備を進めていたのですが、昨年秋ごろから母の視力というか、見る力が段々と衰え今はかなり厚い虫眼鏡を使わないと何も見えなくなりました。

そして、私達母子は、技術のある医者を探し、9月にようやく手術するまでに漕ぎ着けました。

ですので、手術が終わって術後ケアが落ち着くまで少し移住時期が先に伸びました。

私の母は糖尿病である。

後天性のものだそうだ。でも1型だという。
まぁ間違ってるのか合っているのか分からないが、特にどちらでも良い。
もう77歳だから、細かいことは気にしない、気にしない。

おおよそ20年前、55歳の頃に糖尿病と診断された。
あの日のことを僕は今も鮮明に覚えている。

僕は幸いにも自由に、そしてポジティブに育てられた。
母は、常に前向きで、反骨心があり、弱音を吐かない人である。鹿児島の戦前生まれの女である。

そんな母が珍しく台所で途方に暮れていました。

母とは反抗期から、会うたび議論します。
僕が外では思ってることは何一つ話さないので(話したいことが話せる人、そして理解する人がいなかった)母がその聞き役でした。

  • 社会に対しての批判
  • 自分が進みたい道
  • これからの未来

色々話してきたのが、台所でした。

僕はいつも座る場所に座り、「どうした?」と聞いた。母は、

「私がなんか悪いことしたのかね。糖尿病って言われた。
毎日注射を打たなきゃいけない。死んだほうがマシだ。」

僕は25歳、今考えると後になって気づくサインが出ていたのかなと思うのですが、

「死んだほうがマシな人生なんてない、とにかく病気と戦うんだ。戦って
負けたらしょうがないけど、最初から負けていたら、勝てるわけがない」

それまで、子育てに奉仕して生きてきた母にとっての糖尿は、ずっと彼女の人生に対して、マイナスのバランスが強いのではと思っていました。

でもつい最近思ったのは、僕や弟が親離れして巣立ったときに、それが病気だとしても彼女が生きるための糧、モチベーションになるもの、命を燃やすためのガソリンのようなもの。
それが糖尿なのかなと思うと、決してマイナスではなかったのかなと思います。

もし病気がなかったらと思うと、もっと早く元気ではなくなっていたのではとも思っています。

その後、病気と不慮の事故により、片目を摘出し、その後は糖尿との戦いによる20年でしたが、いよいよもう片方の目も見えなくなっていました。

今見たいものは孫

今、77歳ですが、子育て中の親子の関係が第一期だとして、おとなになり、それぞれの人生を生きる時期が第ニ期。

そして、孫が生まれ、少しだけ手を貸しながらまた語らいながら生きていくのが親と子の第三期なのかなと思います。

少し前にダウンタウンの松っちゃんが、Twitterで
「照れずにオカンと手繋いで歩くのに50年かかったわ。。。」
と呟いてましたが、まさしく僕も今、母の手を引き、歩いていると、まさかこんな関係になるとは小さい頃は思っていなかったなと。

そして、こんな親子関係をまた僕の娘とも作れたらと思います。

その前に、第三期のモチベーション、母の次のモチベーションは孫を見る!
きれいに見る!ということを目標にして、楽しいお祖母ちゃんライフを過ごして欲しいし、そのために僕も協力したいなと思います。

お医者さんと白内障とこれからの医療

母と付き添いで病院に行ってみて、大学病院も、優秀な町医者さんも、一長一短です。

ただ、手術に関しては、僕もエンジニアとして思うことは、経験が非常に大事だと言うこと。
難しい手術、簡単な手術に関わらず、件数をこなしていないとやはりリスクが高いと思いますので、お医者さんを選ぶ際はくれぐれもご注意を。

目については、母が病気になってから、散々調べましたしお医者さんにもかなり話を聞きました。

もし目に心配がある方は、メッセージ頂ければこっそりいいお医者さん紹介します。

以上、もっちーでした!

八ヶ岳での食を究め隊/プロデューサー/オーガナイザー
モッチー
幼少時からの八ヶ岳ファン。食べることに関しては誰よりも情熱を注ぐ
小学生時代から、家族旅行は、八ヶ岳だった関係から、大人になっても第二の故郷と思っている「コアな八ヶ岳ファン」である。
食べる・遊ぶ・チャレンジするがモットーで、特に食に関しては「毎食美味しい記録」10年連続継続中。
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