先日、イベント仲間のHさんからとても興味深い話を聞きました。
彼の友人に中米ニカラグアにコーヒー農園を所有し自らコーヒーを栽培している日本人のコーヒー屋がいると言うのです。
「スゴいなぁ。その人に会ってみたい。」
そう言った私に、Hさんが、直ぐその人を紹介してくれました。
その人の名は、木村徹。
彼のお店は、東京・世田谷区にありました。『三軒茶屋珈琲red−clover』。木村さんと電話で話をした後、東京へ行く機会を作り三軒茶屋まで会いに行ってきました。
予想に反して
そこは、“海外に農園を持っているお店”というイメージからは、拍子抜けするほど小さな自家焙煎コーヒー豆屋さんでした。 そして木村さんは、40代半ばの矢沢永吉をこよなく愛する熱い男性でした。
若い頃からアフリカや中南米を旅するのが好きだったそうです。
30代半ばの時、ニカラグアでコーヒー農園の美しさに魅せられ、興味を持ち、現地人の友人に何気なく「コーヒー樹の栽培をしてみたいな〜」と言ったところ、その友人が「だったら農園を買えばいい。買えるよ。」と答えたのが始まりだと言います。
何と、豊かな自然の中でコーヒー樹が自生する山が、まるまる1つ、高級自動車1台分ほどの金額で本当に買えたそうです。
農園の名前は、『モンテクリスト』。良質なコーヒーを作るために手間暇のかかる有機栽培・自然栽培を行っています。甘みの多い美味しいコーヒーを作るために、収穫は、未明から午前中に行います。
日中太陽が照り付けるとコーヒー果実は、その糖分を使ってしまうので、その前に、糖分が最も多くつまった未明から午前中に行うのだそうです。ピッカーと呼ばれるコーヒー果実を収穫する労働者の報酬は、ニカラグアの相場は、バケツ一杯収穫して日本円で約640円程度。ところがモンテクリスト農園では、その3倍の約1900円です。
そのかわりに、真っ赤に熟した美味しい完熟コーヒーだけを選んで摘んでもらう約束になっています。食事も1日3食支給し、希望者には、住む家も提供しています。こうした厚遇は全て、美味しいコーヒーを作るため、面倒でやっかいな仕事や難しい作業をお願いする事があるからだそうです。
そしてもう一つ、木村さんは、モンテクリスト農園に行くと、必ず労働者と一緒に農作業をして汗をかいて働くのだそうです。そうするのが好きということですが、それだけではなく、一緒に汗をかくことで、単なる農園主と雇用人の関係とは違う深い信頼関係、絆が生まれるのだそうです。
このストーリーから学ぶことは、たくさんありますが、『私の考える“美味しいコーヒー”愛と勇気』という今回のテーマに照らしてみましょう。
愛とこだわり、勇気と決断
まず、木村さんのコーヒーに対する深い【愛】。
愛するがゆえの“美味しさ”へのこだわり。“損得・儲け”は二の次で、“美味しい”を実現するために出来ることは全てやろうとする愛。情熱。 そして、これと同じくらい大切なのが、
【勇気】だと思います。
いくら気に入った愛おしい農園と言えども、ニカラグアでその農園を買うという決断には、とてつもない勇気が必要だったことは、想像に難くありません。 そして、“美味しい”を実現するために労働者の報酬を相場の3倍にするという決断。
子どもたちのために学校を作るという決断。 どの決断にも、とてもとても大きな【勇気】があったのだと思います。
私もコーヒー屋の端くれ。 モンテクリスト農園のコーヒー生豆を仕入れさせてもらい焙煎してみました。すると、甘み、コク、香り、後味の綺麗さ、どれも素晴らしいトップクラスのコーヒーに仕上がりました。
そしてもう一つ。 我が町、長野県諏訪郡富士見町の国道20号沿いにあるホームセンター『綿半ホームエイド富士見店』(旧Jマート)、その駐車場の右端に新しくコーヒースタンドができました。 『gardenia coffee house(ガーデニアコーヒーハウス)』と言います。
この店の代表者は、東京下町生まれの江戸っ子。
サラリーマン時代に衝撃的に美味しいコーヒーと出会い、コーヒー屋になる夢を抱えて八ヶ岳に移住して来たのだそうです。
準備に準備を重ねて、ついに『ガーデニアコーヒーハウス』をオープンさせました。 彼のコーヒーに対する深い【愛】も相当なもので、その真面目さと熱心さで、とても、とても美味しいコーヒーを焙煎しています。
この彼にも大変な【勇気】があったのだと思います。
会社を辞めて、住み慣れた町を離れ、コーヒーの夢を実現するため物件を探し、店を決めてオープンさせる。その決断の一つ一つに大きな【勇気】があったはずです。 “美味しいコーヒー”には、【愛】と【勇気】が必要なのだと思います。
いや、コーヒーだけではありません。
充実した人生、悔いのない人生を送るには、【愛】と【勇気】が、とても、とても、大切なのだと心から思うようになりました。 唐突ですが、それは、実は、私の幼なじみで親友の突然の死がきっかけでした。
(続く)