オープンハウスにした自宅で、蔵書約1200冊の絵本と毎回テーマのある絵本を選書して、みなさまをお出迎え。こだわっているのは「絵本の体験」と、美味しく安心して食べられる自家製おやつ&飲みもののある読書の時間。日々が豊かになる絵本のある暮らしをみなさんへ。
ハチモットのみなさま、こんにちは。
いちにち絵本喫茶のいさみと申します。 今年1年、不定期連載で大人向け絵本のエッセイをお届けします。
暮らしの中の絵本を紹介して、日々の生活に絵本があるとちょっといい。 そんな気持ちになってもらえたら嬉しいです。 みなさま、どうぞよろしく。
先月の終わり、夫の用事に便乗して行った熱海で蕪村の詠んだ海に出会った。まあるく優しく凪ぎいだ春の海。目の奥に留まっていた、まどろむような情景に日射しや匂いがともなった瞬間。
春の海 終日のたり のたりかな
「あっ」と突然の邂逅に一人合点がいって、しばし浸ってしまった。
この句、この言葉。五七五のとても短い文章で、この目に映る景色を見事に言い表してしまうなんて、すごいなぁと思う。
それにしてもすごいのはどの辺がだろう?
俳句で思い出していたこの絵本にその答えが書いてあった。
言葉には音がある。言葉の意味よりも音にゆだねる表現。
するとむしろ言葉だけで表現できない部分を補って本質を感じさせてくれるということ。 だってほら、蕪村の句は口にすると何とも言えないまろやかな音がしてる。
はるのうみ ひねもすのたり のたりかなと、のたりのたりと連なり合った効果も抜群で、春の長閑な景色そのもの。 ところでこの「はいくないきもの」は、その ”音” がやや強調、いや行き過ぎた、いやいや、暴走している句ばかりなのが面白い。
破綻しないのが谷川俊太郎さんのすごいところ。ずるくて楽しい一冊です。絵にミナペルホネンの皆川さん。彼もまた彼のファブリックそのままの世界観が絵本に通じてしまう妙があって、ジャンルを飛び越えすっかり馴染んでいる。荒唐無稽な優しい絵で、初めて皆川さんに興味を持ってしまった。どこかで彼のインタビュー記事などを読んでみようと思う。
旅はつづく。
熱海近くの浜辺では、ひたすら桜貝を拾った。
でも日がな一日桜貝拾いをしても飽きない居心地のよい日だったので、砂と波の合間に目を凝らしてチラリとあのピンク色を見つけるという単純な遊びに没頭する。一枚また一枚と集めた桜貝の色がぜんぶ違うのがまた良い。
当たり前のことだけど、自然界に同じものは本当に存在しないのだなぁと目の前のことに感動したりして、家に帰ってから色の名前も調べてみた。
日本の伝統色というカラーチップを眺めて、梅重、朱華、乙女色、中紅花、薄桜、薄桃、淡紅色、珊瑚色、紅梅、聴色、撫子色…、の実に多様な色名に心が踊った。繊細な色の違いを見分ける感性が昔の日本人にはあって、それがいまを生きる私たちに備わっているならいいなと思う。
桜貝を拾っているときから、町田尚子さんのこの絵本が頭に浮かんでいた。
鱗が桜貝の龍がでてくる。でも最初は真っ青な体躯をした美しい龍だった。どうしてさくら色の身体になってしまったのか。その理不尽な理由が物語の中心にあり、核心は少女と龍の心にある。
人と人外の交流は、純真すぎる魂が人の世を諦めたように感じてとても切なくなってしまう。 町田さんのしっとりとした奥行きのある絵もいい。絵本で大事な絵が、画家の深い力量で描かれたときの見ごたえはやっぱり絵本の楽しみ方の一つ。まず絵だけで話が伝わる本はそれだけで素晴らしいのだ。
最後にもう一冊、どうしても浮かんでしまった恋愛絵本がある。
深い恋情の果ての物語。
江國香織さんが絵本で書いた話は、純真がゆえの激しい物語になった。 ここに描かれたのは7歳の少女と19歳の青年との盲目的で一途すぎる恋の話。互いを必要とする甘美な結びつきは大人の恋愛を連想させる。
しかし意外にもこの話は子どもたちにも受け入れられている(もちろんそうでない子もいる)。 この恋の当事者が7歳と19歳だった。そのことに禁忌の念を抱いた正義が、2人を追いつめたとき、これは2人の狂った物語ではなくて、周りが狂った話なのだと思い、ここでまたせつなくなった。 「桃子」という名前。ただならぬ恋の話。これも春の季節にふさわしい大人のための一冊ですね。
春のおやつ「桜の塩漬けパウンド」を焼いて、「有機ほうじ茶」を絵本日和のお伴に。
それではまた次回。