小さい頃から絵や文章を書くのが好き。全く違う勉強をしてきたはずなのに気づけば絵や文章に携わる仕事ばかりしている。グラフィクデザイナー、編集者などを経て「尽日舎」を設立。印刷物のデザインやイラスト作成、記事、コピーの作成などを手がける。
二児の母。次女は妊娠24週、720gの超低出生体重児として生まれ、「広汎性発達障害」「自閉症スペクトラム」「中度知的障害」を持つ。田舎で働きながら障害児を育てることの難しさを痛感することもあるが、八ヶ岳でしか味わえない「子供時代」を過ごさせてあげたいと奮闘中。
こちら八ヶ岳。標高1300mの我が家もただいま梅雨の真っ只中。
八ヶ岳の梅雨はストーブに火を入れたくなるほど寒い。けれど晴れ間に広がる青空は格別だ。朝のうちは風が湿気を含んでいても、昼頃には爽やかなそれになる。
そんな八ヶ岳の初夏の森に欠かせないものがある。
ハルゼミだ。
ハルゼミとは読んで字のごとく、セミの一種である。真夏に鳴くセミたちよりもふた回りほど小さな体でとても高い声で鳴く。晴れた日には何千ものハルゼミが森の中で鳴き、共鳴して森中に響き渡る。木漏れ日と相まってとても幻想的だ。
ところが我が家のムスメ。どうしてもこの声が「セミ」だとは思えないようで、ハルゼミが鳴く日は必ず「カエル鳴いてる?」と聞いてくる。
そう。ムスメに限らず聞きようによってはカエルの声に似ているのだ。個人的にはカエルの声よりまだ高くて綺麗だと思うのだが、遠方からきたお客さんなどは大人でも「カエルですか?」と聞いてくることがあるから、当たらずとも遠からずということか。
しかしムスメはこの質問を、森でハルゼミが鳴き出すよりだいぶ前、田植え前の頃から始める。田んぼに水が張られるとすぐカエルが鳴くようになるからだ。すると「これはカエル?」とまず聞く。その質問を毎日続け、森でハルゼミが鳴くとニヤニヤしながら同じことを聞くのだ。
こうなるとムスメの方はもう確信犯で、田んぼで鳴くのは「カエル」だけど森で鳴くのは「カエルじゃない」とわかっていて聞いているわけだ。
わかっていても同じ質問を繰り返すというのは「自閉症スペクトラム」の特徴のひとつのようで、他にも似たようなことがいろいろとある。専門的なことは置いておいて、答えがわかっているか、もっと言ってしまえば相手がなんと答えるかが大切なわけではなく、何かそこに生まれるルーティーンが重要らしい。
「自閉症スペクトラム」という診断名が出たとき、症状や特徴を私なりに調べたが、範囲が広すぎて合っているような合ってないような・・・なんともいえないモヤモヤした気持ちになったことがある。そんな中で顕著に表れている特徴のひとつだと言えるかもしれない。
こちらが何かに気を取られていて答えないでいるとなんども同じことをしつこく聞いて来るのに、きちんと答えるとその時にはもうこちらの答えには興味なさそうだったりもする。とにかく大事なのは「聞く」「答える」のルーティーン。面倒臭いなと思うことがあっても根気よく付き合っていると、いつの間にかまた別のルーティーンが生まれて、古いものはなくなっていく。なくなってすぐは気づかないのだが、「そういえばこの頃あのこと言ってこないね」となるとそれはそれでなんだかちょっとさみしいから親も勝手なものだ。
ただこの質問は年をまたいでここ何年か続いている。ムスメが飽きる前に季節が移ろっていってしまうからだろうか。ムスメなりに夏の訪れに心踊らせている証拠かもしれない。飽きるのが先か、季節の移ろいが先か。
梅雨が明ける頃にはハルゼミの季節もおしまいだ。来年のこの季節、もしかしたらちょっとさみしい思いをしているのかもしれない。