日本の豪雨災害に胸を痛め、自然の力の凄まじさをまざまざ見せられています。行政が機能できないくらいの災害は、助け合える地域のコミュニティが大事だと実感。今、被災地に飛んでいけないけれど、出来る支援をしつつ、今一度自分たちのこの地を見直し、いざというときのことを話し合いしておきたいと思いました。
ここ八ヶ岳周辺から諏訪湖にかけても、断層があったり、土砂災害危険区域もありますので各家庭で防災についてお話しておくことは大事なことです。
早速、市役所と消防署へお話を聞いてきました。
茅野市では、防災課で防災ガイドブックを配布しています。希望者には出張出前講座もあるそうです。
消防署では、5人ほど集まれば初級の救命救急講習会入門編から無料で受講できるそうです。
東日本大震災の支援の後、発足させたママとこどものお話会(奇数月に中大塩コミュニティで開催)食、環境、保育園、学校、医療、政治何でも話す場、大切に選択してきている方や移住してきた方などが集まってお話しています。そこでも、防災についてや危険な場所、子どもの守り方などについてなどのお話になりました。
皆さんもどこで災害に合うかわかりません。運転中なら。通学中なら・・・とあらゆる想定をして、あのルートで避難する。この場所が避難所になる。連絡はどうやって取り合うか、いざという時に助けを求められるのはどこなのか?誰なのか?色々お話してみてくださいね。
いつ死ぬかは選べないけど、どう生きるかは選べる
被災で命を落とした方々、ご冥福をお祈りします。突然の別れにご家族の悲しみ痛みを想うと言葉もありません。
私も実家の火災で妹を亡くし、悲しみに暮れる暇なく、住む家もなく、燃え残りの家財道具の中から妹の遺品を探し、嘘であってほしいと願い、クタクタになるまで作業し、、葬儀の準備もし、現実だと思い知るたびに苦しくなったことがよみがえります。
こんな風に突然旅立つこともあり、人はいつ死ぬかは選べない。突然に別れが来るんだと実感しました。
それでも、死ぬ時までどう生きるか。は選べるんだ。と思いました。患者さんと接するときにも想ってきましたが、一瞬一瞬、素直に、全力投球を心がけています。一期一会を身に染みるから。
まな板の鯉はやめよう!何を選択するかは自由。
今は生きる、老いる、病、死ぬ、について、医療の発達や、家族形態の変化などもあり、 選択肢が増えて、(不妊治療も、妊娠中絶もあるし、様々な治療法、延命治療、尊厳死・脳死・・・) 今まで、神様や天命にゆだねていたことまでもが、私たちが選び、決めていかなければならない時代。
決めたって、そう産めるわけでも、死ねるわけでもないんだけれど・・・ そこは、本当に神様のおしごと。と割り切りながら、産むときも死ぬ時も天命でしかないから、希望がどこまで叶うかは別として、 自分がどう生きたいか?どのように毎日を生きたいのか?医療などと関わる時には、自分がどう産みたいか?自分がどのような死を迎えたいのか?考えたり、お話したりしていくことの大切さを感じています。
考えておかなければ、気づかないうちに、望まない医療の流れにのまれてしまうくらいレール敷かれていて、気づいたら、こんなはずじゃなかった・・・なんて事態になっていることもあります。それで、怒っている患者さんも患者家族もいました。話しあいもしておかなければ、一緒にいる家族でさえも相違ができてしまいそれぞれが胸を痛める場面もあります。
家族でいのちのはなしをしておこう。
今は、意識している方々も増え、産む方は、バースプラン、死ぬ方は、エンディングノートが流行っていたりするけれど、でも、なんだかフワフワで、頭でっかちだったり、夢見心地だったり、イメージ先行で地に足のつかない内容なんてことは、いっぱいあります。
様々な価値観があるので、関わる家族との話し合いもとても大事です。 産むも死ぬも、周りの方々も本人も感情や色々なものが噴出するから、実際は本当に深いし覚悟を決めていくこと・・・予定通りにも希望通りにもいかないこと。
なんでもない時に、そんなこと考えたら縁起でもないといわれるような元気な時にこそ、考えておいたり話しておくといいと思います。
私たちも家族で夫婦で時々話しています。でもね、その時に変わってもいいんです。実際になってみたら、違う。やっぱりこうしたい!と本音がでてくることもあるから。何事も臨機応変です。
コミュニケーションは、医者、患者の間でも、家族の間でも必要。 選択を迫られる前に、そんないのちのお話しがみんなでできる時代になればいいな。って想っています。選べる時代こそ、自分の力で決めていけるように患者学はこれから必要です。
自分で選択できることに気付いて伝えあいましょう。