HOME CULTURE & LIFE COLUMN 11時間目「私が『スパルタ教師』をやめたワケ」

ここ長野県も、いよいよ「高校受験」真っ只中となりました。

進路相談を受けていると、よく話題に上るテーマがあります。

うちの子はやる気がなくて困る。だから高校は…」という流れから、

「自由」や「自主性」を重んじる高校に行っても、あまり勉強をしないのではないか。

「めんどうみ」が良くて、ビシビシと「厳しく」指導してくれる高校で鍛えてもらった方が

伸びるのではないか。

…そんな内容です。

さて、みなさん(のお子さん)なら、どちらを選びますか?

話は20年以上も遡りますが、東京で、ある進学塾に勤務していた頃のことです。

当時の私は、今の生徒たちが見たら、たぶん「引く」くらいの、まさに「スパルタ教師」だったと思います。

とりわけ、「やる気のない生徒」に対しては、かなり厳しく接していました。

お金を払って映画館に来る人が、映画を観たいのが当たり前のように、お金を払って塾に来るなら「勉強をしたいのが当然だろ」と思っていました。

ですから、「やる気」の感じられない生徒には、当然のように、

「やる気がないなら帰れ。月謝ならオレの給料から返してやる。」

そんなことを言い放っていました。

当時は雇われの身でしたから、上司はハラハラしていたと思います。

しかし、多くの子どもたちや、その保護者の方たちと接しているうちに、「やる気」がない原因の多くは「子ども本人」には無いという、少なくとも「私にとっては」意外な事実に気づき始めました。

兄弟姉妹や同級生などと比較ばかりされる子ども

褒めるも怒るも結果でしか判断されない子ども

女の子だからという理由で進学に反対される子ども

本人の希望を無視して塾や志望校を決められる子ども

親自身が「ムダ」とか「キライ」などの言葉で、

「学びの価値」や「考えることの意義」を否定している家庭の子ども

逆に、親に勉強(とくに受験)での「成功体験」があって、そのやり方を押し付けられている子ども

学校の集団授業で空気を読めず、じゃま者扱いされる子ども

先生との相性が合わず、何かと標的にされる子ども

長引く不況の中、経済的な理由で学ぶ機会を奪われてきた子ども

教育虐待やネグレクトまではエスカレートしていなくても、感受性の強い子どもほど、これらが「やる気」を奪う可能性は充分あります。

元来、子どもたちの多くは「好奇心」を多分に持っているものです。親や大人に「ねぇ、なんで?」と聞いてみたくなるものです。

そんなとき、ご両親に時間的、精神的な余裕があれば、一緒に考えたり、調べたりすることもできるでしょう。

学校の先生も同じです。

業務や行事に追われ、「カリキュラム」をこなすだけで精一杯になれば、個々の好奇心に付き合う余裕がなくなるのは当然です。

仮に、興味を持てる対象を見つけられた子どもでも、「成績が上がる」、「受験に役立つ」といった基準だけで、学びや遊びを制限された子どもは、遅かれ早かれ、「学ぶこと」から逃避する、つまり、「やる気」を失っていきます。

そういうケースを多く目にする中で、ようやく、私も気付くことができました。

「そうか、やる気を持ち続けている子どもは、とても恵まれている子どもなんだ。」

それからは、子どもたちとの接し方がガラッと変わりました。

指導者の最も重要な役割は、子どもが元来持っている「やる気を取り戻す」ことだ、いかに、やる気を引き出せるかが、塾講師の腕の見せ所だと思うようになりました。その子が興味を持てることを一緒に探し、きっかけ作りをする。

好奇心が顔を出したら、その好奇心に、できる限り付き合う。その好奇心が「小さなやる気」につながるようになってきたら、それが持続できるように「最小限」の手伝いをする。

どうしても「やる気」が出ないときは「待つ」ことも重要です。「ほったらかし」にするわけではありません。

その子のありのままの状態を受け入れていると、不思議と自分の方から「やる気」が出ない「理由」などを話してくれます。そのタイミングを逃さないように「見守る」ことが大切です。

「原因」は勉強のことだけとは限りません。

心や身体が疲れているなら、学校や学習を「休む」ことは、むしろ、とても「ポジティブ」な対応です。

「原因」を聞きもせず「やる気がないのは自分のせいだ」と言えば、その子(の心)が離れていくのは必然です。

「スパルタ式」で、ある時期だけ机に向かわせることができたとしても、長期的に見て逆効果になるならば、指導者はその手法を採るべきではないでしょう。

そういえば、東京で勤めていた進学塾の卒業生に、「先生に昔みたい厳しく言われないとやる気が出ないよ」と言われたことがあります。

未熟だった私は「ほら見ろ、オレのありがたさに気付いたな」くらいの態度で褒め言葉として受け取っていました。

今となっては浅はかだった自分が恥ずかしい…

本来は、教え子たちに「もう先生は必要ないよ」と言われることこそ、「最高の褒め言葉」なのだろうと、今なら思えます。

それこそが、「自分で考え、自分で選び、自分で進むという生き方」を手に入れられた証なのだと思えるようになったからです。

もし、今、昔の生徒に会うことができたら、まずは「悪かったね」と謝らなくてはいけませんね。そう、もしかしたら、偶然、このコラムを目にしてくれる教え子もいるかもしれません。

さて、このコラムも次回がいよいよ最終授業となります。

よろしければ、もう一時間だけお付き合い下さい。


~2020.02.11記~

私が「人を育てる」仕事を続けていく上で、大きな影響受けた「指導者」の言葉に、こんなものがあります。

「コーチの第一義は、自信を無くしている、目標を失っている選手に、いかに意欲を出させるかということ。」

未だ「根性論」、「スパルタ式」が主流のスポーツ界にありながら、合理的で現代でも通用する多くの指導理論を確立してきた指導者。

ピークを過ぎたり、スランプに悩んだりして、他球団をお払い箱になった多くの選手たちを見事に「再生」させてきた指導者。

そう、「故野村克也」さんのお言葉です。

選手としても監督としても、もちろん超一流なのですが、近年の野球界での監督やコーチ達の顔ぶれを見るにつけ、野村さんの「指導者」としての業績には他を圧倒するものを感じます。

野村監督、

あなたの「教え」の一部は、未熟ながら私の中にも確実に根付いています。野球の楽しさを、そして、「人を育てること」の奥深さを教えて頂き、本当にありがとうございました。

改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

村上 陽一(むらかみよういち)
・小学校時代は、野球、サッカー、陸上と、いわゆる「暗くなるまで外にいる」タイプ。
・中3時に新設された茅野市立東部中学校に移り、初代生徒会長及び文化祭実行委員長を兼任。
・清陵高校に進み、サッカーにバンド活動、清陵祭実行委員長と高校生活をエンジョイ(笑)。
・国立東京学芸大へ進学。この頃の優先順位は「バンド→塾でバイト→勉強」と、さらにエンジョイ(苦笑)。
・1999年、東京都東大和市で独立起業し学習塾を経営。後に母の看病のために塾を譲渡し帰郷。
・2005年、都市部とは異なる地域のニーズに応えるべく茅野市に学習塾『学び舎Planus(プラナス)』を設立。
・2015年、母校東部中学校の初代同窓会会長、学校評議員、コミュニティスクール運営委員を務める。

~最近では~
・子どもが算数大好きになるには、まずママからと「ママが楽しむ算数講座」を開講。
・東部中学校内で「放課後自習教室」をサポートするボランティア活動をスタート。
・不登校のお子さんのための居場所、学習支援を行う『Glück(グリュック)』を始動!!
Facebook