いよいよ、このコラムも最終授業、最終回を迎える時が来ました…
と、言いつつ!
実は、私のわがままで、この最終授業を前編と後編(補習授業編)の2度に分けて掲載して頂くことになりました。この提案を快諾して頂いたハチモット編集部のみなさん、ありがとうございました。
この一年間、私は「会社や大人社会で起こっている多くの問題は、教室や部活動で起こっている事象の延長線上にあるのではないか」という視点を紹介してきました。
学習内容もさることながら、良くも悪くも学校生活で染みついた「価値観の影響」を、しっかりと自覚する必要があるのではないかという問題意識で〆切と向かい合ってきました。
この最終回では、これまでの問題提起から一歩踏み込んで、では具体的に何をすれば、少しでも状況を打開できるのか、私なりに提案することで「言い出しっぺの責任」を果たそうと考えてみました。ぜひ、後編(補習授業)まで、もう少しだけお付き合いください。
さて、今回のタイトルにある「K/Pg境界」ですが、これは「巨大隕石の衝突による極度の寒冷化の影響などにより、恐竜のような大型のハ虫類が絶滅し、代わりに哺乳類が地球の主役に躍り出た。」という、あの「地球史上の大事件」が起こったタイミングを指します。
教育問題に限らず「2019」、そして「2020」と、まさに目の前で起こっている問題の多くは、
これまで私たちが経験したことのない新しい、そして多面性を持った問題ばかりです。
こうした未知の事態に対応していくには、「公(教育)」はあまりに大き過ぎると思います。
公教育のシステムは、文科省をトップに「均質な」教育を「安定的に」提供することには長けていると思います。
一方で、地域、学校、個人ごとの細分化されたニーズを把握し、スピーディーに対応するのには向いていないと言わざるを得ません。
それにも関わらず、「公教育」の現場に対する要望の方だけは、日に日に大きくなっています。
「道徳」、「英語」、「プログラミング」、「貧困対策」、「不登校支援」…
今までと、ほとんど同じ「時間」、「人員」、「予算」で、今まで以上の「多様で新しい」問題に「迅速かつ的確に」対応しろというのは、あまりに無理な要望だと思いませんか。想定外の事態が起こったとき、「公(教育)」が、地方ごとの事情を把握、考慮せずに、無理やり迅速で画一的な対応をしようとすると、どういう混乱が起こるのか…
例えば、今回の「新型コロナウィルス」に対する「全国一斉休校」という政治判断は、
そのことを図らずも物語っている気がします。
ですから「公教育」は、これ以上、手を広げるのではなく、まずは、最大公約数のニーズに、 丁寧に応えることに集中し、その質を高めることに注力すべきだと考えます。同時に「できないことはできない」と素直に認め、その「代替方法」を社会全体で議論し、見つけていくべき時期に来ていると考えます。
その際、私は、その新しい「担い手」に求められる条件が3つあると考えています。
それは、「地域密着」・「小規模」・「民間」の3つです。
お気づきの方もいると思いますが、これらは、すでに多くの活動団体が実証しています。いわゆる「子ども食堂」や「無料塾」、「フリースクール」などは、その典型例でしょう。近年、このような活動(団体)が、「公(教育)」ではカバーしきれなかった子どもやご両親たちを救うべく、各地で続々と誕生しています。
これらの活動(団体)は3つの条件を満たしているからこそ、「地域ごと」、「家庭ごと」の多様で繊細なニーズに対応することが可能になります。もちろん、運営者の決断一つで、素早い意思決定ができる点も大きな武器となっています。
一方で、多くの活動団体が直面し、その継続を妨げている問題もあります。
それは「運営費」の問題です。
活動の性質上、たくさんの利用者を受け入れたり、高い利用料を受け取ったりすることは、なかなか難しいのが現実です。そこで、多くの活動団体が「ボランティア」や「寄付」などに頼っているのが実情ですが、これらの善意にも自ずから限界があります。
そうなると、最後に行きつくのが国や地方自治体による「補助金」です。
収益性が低くても社会の役に立っている活動(団体)を、「補助金」でしっかり支えるのは、ある意味、当然でしょう。しかし、私は、この「補助金頼りの構造」こそが、多くの活動(団体)が継続的に発展していかない大きな理由だと考えています。
なぜ、「補助金に頼ると活動が発展していかないのか」、
では、「補助金に代わる(あるいは補助金を変える)、どんな手段があるのか」、
次回、いよいよ本当の最終回、「補習授業編」では、この「補助金問題」を「ガリレオの望遠鏡」でのぞいてみたいと思っています。
それでは、いったん休み時間にしましょう。
(後編は3月30日月曜日に更新です!)