HOME CULTURE & LIFE COLUMN Vol.2 「映画『玄牝』のつながり」その②

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ひと昔前なら当たり前だった自宅出産。
いまでは、助産師さんが家に来て出産する場合も、提携病院をつける必要がある。

その理由は、私のように「出産とは当日まで何が起こるかわからない」からだ。

ある意味リスキーな妊婦さんが急きょ病院に駆け込みになるために、提携してくれる病院は懐が広いと表現してもいいだろう。私が入院した病院も、自宅で産みたいという私の気持ちを最後まで汲んでくれた場所だった。

自分の病院の助産師ではない照子さんを尊重し、なんでも照子さんに報告、医師が勝手になにかを決めることもなく、血圧を下げる薬を使うかどうかでさえ、確認してくれた。

あとで聞いた話だが、私の症状はそんな呑気なプロセスをとるようなものではなかったらしいが、妊婦には感情的なショックを与えないということを一番優先して、そのようなプロセスを大切にしていてくれたようだ。

待つということ…

担当医師は病院の副院長で、「ギリギリまで命の営みを待てる珍しい医師」だったそうだ。入院中の1週間、塩分を抜いたり、ベットから外に動かない制限をかけて安静にしても、血圧は上がる一方でついには上が190になることもあった。

ここまで血圧があがると赤ちゃんに影響がでるため、帝王切開になるのが流れなのだが、照子さんとともに、私と赤ちゃんの様子を本当に細かく観察して、待っていてくれた。

「待つ」ことの力によって、
いままで自宅出産にこだわっていた自分がとても小さく古いものに変容していく。

産む方法も、産むために備えるあれこれも、ナチュラル主義思考も、

いのちの前では、ある方法のひとつでしかない。

私の中にはいのちがまるごと入っている。

たくさんの涙と、それまで支えてくれた人への感謝に溢れ、大事なことだと思い込んでいた「産む」以外のものが消えたときだった。

陣痛がはじまる。

お産が教えてくれたこと…

出産は高血圧症候群のまま、本番に突入。

長時間の難産の末に、元気な女の子が生まれた。まだ名前がなかった頃、彼女の愛称は「師匠」。その名の通り、妊娠・出産を通して、私を解放し変容に導いてくれた(いまでも続く)。

いのちの前では、どの道も道のひとつにすぎない。
そして、どの道を通ってもいい。

このすべてのプロセスに寄り添い、ともに葛藤し、見守り、信じてくれた照子さんは戦友となった。

助産師、それは巫女に違いない。赤ちゃんを通じて、あの世とこの世をつなげ、母の変容を支えてくれる。。。

縁は続くよ どこまでも…

映画『玄牝』が全国をまわるようになった頃、私たち家族は、東京から八ヶ岳に移住した。照子さんとも定期的に連絡を取り合っていたのだが、移住したばかりの八ヶ岳で、『玄牝』の上映会があり、自分もゲストで呼ばれているというではないか。

そして、その上映会を企画したのが、ハチモット連載を持つ藤森朋ちゃんだった。(私たちはこの後、さまざまな取り組みをともに行うようになる)

さらに、2年後、

次女を妊娠した私に会いに来てくれた照子さんは、その場で「八ヶ岳に住む!」と決め、あれよあれよという間に、北杜市に産婆ステーションを構えてしまった。

いまや、たくさんの八ヶ岳ベイビーズの巫女として、活躍している。

5月21日にはまた、藤森朋ちゃんが主催となって再び、『玄牝』が原村にやってくる。今度は照子さんを囲んでのお話し会つき。

縁がめぐっている。
(不思議なことに、私はまだ『玄牝』を見る機会がない…21日も…それもまた、自然にまかせましょう~)

先日は八ヶ岳ヴィレッジマーケットにて、
10年前に助産してもらった長女が、昨年、この地で照子さんにとりあげられたベイビーちゃんを抱っこしていた。

縁はめぐっている。
(ちなみに、ハチモットデザイナー篠くんのベイビーも照子さん助産!)

照子さん曰く「どんなお産も、大安産!」

映画『玄牝』上映会&松浦照子助産師さんとお話し会 (原村・深叢寺)
http://8mot.com/culture/8861/

8mot編集長
みっちゃん
2011年12月に八ヶ岳に移住。以前は医学雑誌の編集をしていたが、移住後はさまざまな繋がりから農業・翻訳・校正・手仕事・イベント企画、星空の映画祭運営委員など、多様性ある豊かな関わりを実行中。共訳に『ルーミーその友に出会う旅』、『ルーミー愛の詩』があり、八ヶ岳で朗読会を主催している。
これからの社会は信頼と仲間との連携=愛なる社会であることを想い、ハチモットで八ヶ岳の繋がりを表現した~い。
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