日本一標高の高い野外映画館である「星空の映画祭」。
八ヶ岳・原村の夏の風物詩となった一大イベントには、毎年全国から訪れる7000人を超える人々が、満天の星空のもとで映画と自然との一体感を体験している。
今回のシゴトニンインタビューでは、今年で32回目を迎えるこの映画祭を第一回目から支え続けるだけでなく、八ヶ岳の映画館を守り続けてきた新星劇場(茅野市)の柏原昭信さんにお話しを伺った。(以下、敬称略)
(柏原さんは今年で20回目の蓼科高原映画祭にも関わっているが、今回は星空の映画祭を中心に取材をした)
野っぱらのなかでの映画祭
― 星空の映画祭は今年で32回目とのことですが、どのように始まり、運営してきたのでしょうか?
柏原:1983年に最初の映画祭をやった。その頃は八ヶ岳自然文化園はなく、野外音楽堂とトイレだけがある単なる公園だったんだよ。野外ステージに行くにもまるやち湖から入らないといけなかった。
当時から移動映写をやっていたことで、ペンション区でオーナーをしていた柳平さん※がいい場所があるから野外で映画祭をやらないかと話に来てくれてね、最初はやる気がなかった。ところが行ってみたら、何もないのにすごくいい場所で、自分の方が気にいっちゃったんだよ(笑)「ここでナウシカをやろう」ということになったのが始まり。※
自分たちで草刈って、映写のための掘っ立て小屋を建てて、電気も電柱から拾ってさ。大工さんに足場を組んでもらってスクリーンを張ったんだよ。最初は50人くらいしかお客さん入らなかったけどね、スポンサー協力があったからくじ引きで景品まであって、当たる確率がとにかく高かった(笑)
※柳平さん…ペンションZig-Zagのオーナー
※第一回目の映画祭ラインナップが豪華で驚きです!「蒲田行進曲」「風の谷のナウシカ」「未知との遭遇」「炎のランナー」「クレイマークレイマー」
終焉、そして復活
― 「タイタニック」を上映したときは1000人のお客さんで溢れたと聞きましたが、そこからしばらくして2006年に幕を閉じることにしたのは何故ですか?
柏原:「タイタニック」を上映するようになった頃には、地元の人だけじゃなくて、全国からお客さんも来るようになったんだけどね…それまで芝生が枯れるくらい雨が降らかった原村で、年々天候不順になった。それと同時に、映画祭自体が増えてきたんだよ。そうなるとね、フィルム代が軒並み上がってくる。フィルム代が高くなってるのに、雨が降ったらどうしようもない。それで、このままだと赤字になるなというところで辞めることにした。
― そこから4年のブランクの後に、若い人たちが復活させたのですね。
柏原:あるとき、秋山さんと武川さん※が、映画祭を復活させたいとうちに来たんだよ。柳平さんのところにもね。本当に運営していくのは大変だし、赤字になったらどうするの?と最初はずっと反対していた。秋山さんは色んな人に相談して反対されても、泣きながらチラシを作っちゃってね(笑)作っちゃったら仕方ない、やるしかないと。一年やったら諦めるだろうと思ってた。
そしたら自分たちで若い有志を集めてさ、本当にやっちゃった。成功しちゃったんだよ。
※秋山さんと武川さん…秋山良恵さんは映画祭を復活させた元実行委員長、武川寛幸さんは東京で映画配給の仕事をしながら現在も星空の映画祭実行委員長をしている。
有志による奇跡の運営
― 復活してからの7年、新たな星空の映画祭の活躍はよく知られるところですが、柏原さんとしていかがですか?
柏原:すごいよ。それに今の実行委員の形はとてもいい。委員長は東京で実際には顧問みたいだし、スタッフみんなが主役になってる。誰が来ても映画祭が繋がっていける状態になってきた。こんないいイベントなかなかないよ、俺の生きがいだよ。
(“この歳になっても頑張れるのはみなさんのおかげ!”とは奥様の声)
一度、嵐の中で「かぐや姫の物語」をやった。嵐のシーンでは本当に外が嵐で、だんだん止んできて、最後にはかぐや姫が月に帰る場面で本当に満月が見えたらしい(映写室にいるため柏原さんは見えない)。その日に来てくれたお客さんが、映画祭のファンになってくれてね、甲府からわざわざ前売り券を買いに来るようになったこともあるよ。
いまでは雨でもたくさんの人が来てくれるし、傘をさしてスクリーン観てるお客さんの後ろ姿にこっちが感動してる。。。
リアルニューシネマパラダイス?!
― 柏原さんご自身はいつから映画業界に関わっていたのでしょうか?
柏原:生まれたときから親父が富士見町で映画館・富士見劇場をやっていたんだよ。だから二代目。あの頃は富士見にも、茅野にも、諏訪にも映画館※があった。茅野が「茅野市」になるために映画館が複数あることが必要でね、そこで昭和32年に新星劇場ができたんだ。最初の経営者が上手くいかなくて親父に話しが来てさ、高校を卒業してから俺が継ぐことになった。
※当時、茅野には3館、諏訪には6館もの映画館があった。映画は100円で観れ、あんぱんが10円だったそう。
― それはまさにニュー・シネマ・パラダイスの世界ですね!
柏原:そうだよ、本当にそう。あの頃は自転車で移動してたしね。あの映画のまんま。はじめて「ニュー・シネマ・パラダイス」観たときは…“これは俺のことだ!”ってガンガン泣いた。。。自分と被っちゃったよ。本当にあの通りなんだ。火事はなかったけど、フィルムが燃える経験はしたよ(笑)
茅野もものすごく賑やかで商店街にも人がいっぱいいた。それから時代が過ぎて、シネコンが来て、誰も単館の映画館に足を止めないようになってしまったけどね…。
長野県で唯一のデジタル映写機取り扱い技師
― 出張映画技師として今でも現役の柏原さんですが、2014年から35ミリフィルム映写機とデジタル映写機の両方で映写していますね。
柏原:デジタルが来て、フィルムが撤退した。だから古い映画をやることができないんだ。新しい映画を上映するためにも、この歳でまた借金してデジタル機を買った。移動映写として長野県でデジタル映写の許可があるのは一社だけ、うちだけなんだよ。
(ここだけの話♪ですが、柏原さんは御年80歳!高齢でありながら新たな機器を購入することへの不安はなかったのかと聞いたところ…すかさず奥様が「この人は何言っても聞かないのよ~!」と一言!)
楽しくて仕方ない星空の映画祭
― 人生のほとんどを映画に捧げている柏原さんですが、最後にこれからの抱負や星空の映画祭に対する想いをお聞かせください。
柏原:星空の映画祭は…とにかくずっと続けたい。よぼよぼになっても映写しに行きたい。あの雰囲気が好きなんだ。普段は22時には寝るけどね、映画祭の22日間は、夜遅くまで通っても疲れないんだ、全然。楽しくて仕方ないんだよ。
― お話しを伺いながら、ニュー・シネマ・パラダイスの主人公トトが目の前にいるようで鳥肌が立ちました。星空の映画祭を支える長老である柏原さん、これからも映画祭を楽しみにしています!ありがとうございました!
取材:8mot編集長 みっちゃん
星空の映画祭実行委員でもあるみっちゃんのコラムはhttp://8mot.com/culture/9392/
Profile
柏原昭信(かしわばら あきのぶ)
生まれたときから映画館の息子。長年館長を務めた老舗映画館・新星劇場が2013年に閉館。現在は移動映写技師として長野県を回る。全国から22日間で7000人以上が訪れる原村の「星空の映画祭」を文化園と共同で運営(32年目)。茅野市が運営している蓼科高原映画祭でも映写を担当している。