紅葉が始まり、少しずつ里に下りてきて鮮やかなドレスの八ヶ岳の麓。
嫁に来たばかりの頃、10月ってこんなに寒いのか?みんな薄着だけど、何を着ればいいんだ?と悩んだものでした。ジーンズはひんやり冷たくて、他に持っていなかったので、タイツにスカートをはいていると二世帯同居の義祖母に「朋ちゃん今日はお出かけかい?」「家にいるよ・・・」という会話。今では飛び回っている私もお友達もいないし、独りぼっちで過ごしていたのでした。
前回のつづき(vol.6 病床には五感とユーモアを)の義祖母のお話です。
脳梗塞で意識がない状態が続いていたおばあちゃん。
呼吸状態が悪いなと思ったら、医師から、いよいよお別れの時が来たことが告げられました。個室に移されて、義父、義母、夫と交代で付き添いながら見守り、早朝出勤前に病室に顔を出すと呼吸状態がさらに悪化し、ああ、今日が旅立ちの日になりそうだ・・と感じた私は、すぐに勤務していたクリニックに勤務変更のお願いをして病室に付き添うことにしました。一晩中付いていた夫たちには、変わったようには見えなかったらしいので、その状況を見たことがないとわからない変化かもしれません。
危篤の知らせを聴いた近所に住む娘(叔母)たちや孫(従姉妹)たちが集まり、個室いっぱいになりました。だんだんと呼吸が浅くなりチアノーゼが出て、指先が青白く、冷たくなっていきました。私はブレンドしてあったオイルを手に取って、いつものように義祖母の手をマッサージしはじめました。お部屋に植物の香りが広がりました。
祖母を囲むようにみんなで座っていた夫、叔母、妹みんなが手や足を取り、マッサージ。
「手があったかくなってきたよ」
「爪が赤くなった」
「おばあちゃんの指って、反りかえっているよね、実は私もなの。」
「え?私もだよ。」
と見せ合い、血のつながりを感じたり、駆け付けられない孫たちのお話を聞かせたりして、和やかな時間でした。
検温に来る看護師や主治医も「いい匂いですね~」「藤森さん、皆さんがマッサージしてくれていいね。」と声をかけていきました。私が新人のころは、看取りの近づいた患者さんのお部屋で、張り詰めた空気の中バイタルサイン測定や、処置をするときに、何を声かけたらいいの?と緊張した記憶がありますので、皆さんにも救いになったのではないでしょうか?
呼吸が弱まっていく中、何もできない・・・と無力感で見つめているだけでなく、気まずい雰囲気の中見守るのではなく、自分もおばあちゃんに何かしてあげられる。心の中で感じたんではないでしょうか?みんなで、ずっと触れたり、話しかけたり、マッサージをしていました。
そして、下顎呼吸になり、最期の一呼吸が近づいてきた頃、
私が「おばあちゃん、ありがとう」と耳元で伝えると、みんなもかわるがわる耳元で、「ありがとうね。」「よくがんばったね」涙声になりながら伝えました。ありがとうと香りと家族のぬくもりに包まれ、祖母は旅立っていきました。遺された私たちにさみしさ悲しみの中、ぬくもりと絆をしっかりと結んでいきました。
ありがとうとさようならの厳かであたたかな別れ。それを経験できたことは、私たち遺された家族にとって大きな力にもなりました。
そして、時折、義妹の指や姪っ子の指を見て、祖母のことを思い出して受け継がれる命を感じています。
私自身は祖母の看取りのあと自宅出産をサポートさせていただいた経験があります。その時にこの時のことを思い出しました。枕元でありがとう。。。が囁かれる厳かな瞬間を・・・。
つづく