私の『ハチモット』でのブログは、今回で最終回となります。
ありがとうございました。
“美味しいコーヒー”について、思いつくまま5回に渡って書いているうちに、 「やっぱ大切なのは、【愛と勇気】だよなぁ〜」に、行き着きました。 そして、そうなると、“この男”について書かずにはいられなくなりました。 “この男”とは、私に【愛と勇気】を教えてくれた、幼なじみで親友のテツオという男です。
実は、テツオは、2008年4月、埼玉県のとある公園に停められた車の中で死んでいるのを、警察官立会いの下で、彼の妻に発見されました。
これは、彼の【愛と勇気】に満ちた人生の集大成とも言える壮絶な“死にザマ”でした。享年45。彼の波瀾万丈な人生を書こうとすると一冊の本にもなりそうなので、ココでは、短めに、ポイントを絞って紹介したいと思います。
私がテツオと出会ったのは、東京・中野の公立中学校の入学式。同じクラスの1番デカイのとチッチャイのでした。いわゆるデコボココンビ。 テツオは、モノマネが上手く、話が面白く、いつも私を笑わせてくれました。実は、テツオのおじいちゃんは、昭和前期の超大物人気芸人『牧野周一』だったのです。そして、お父さんは、『宇野功芳』というクラシック音楽界に名を馳せた音楽家。
テツオは、才能豊かな家系のある意味天才的な“普通じゃない”少年でした。 私とテツオは、西部劇が大好きで、中学の3年間は、ほぼ毎日、放課後にテツオの家に行き、二人で西部劇ゴッコをして遊んでいました。
西部劇への【愛】は、凄まじく、寝ても覚めても西部劇!飯を食っても、風呂の中でも西部劇!当然、私達二人の将来の夢は、カウボーイでした。もちろんこの時は、私も本気でした。けれど中学卒業にあたり、私は、他の皆と同じように、普通に高校へ進学しました。ところが、一方、テツオは、【西部劇愛】にまっしぐら!「学校なんてくだらない。行っても意味が無い。」と言い切って、福島県の牧場に一人で就職してしまったのです。
それからほどなくして、テツオは、当時の人気テレビ番組「特ダネ登場」に牧場を代表して出演し、日本一の天才カウボーイとして見事な拳銃さばきをテレビで披露しました。 彼の【愛と勇気】が、カウボーイの夢を叶えさせたのでした。
ところが、半年ほどして、仕事中に左腕の複雑骨折という大ケガを負ったテツオは、牧場を辞めることになり、東京・中野に帰って来ました。
テツオと私の二人でカウボーイの次に見た夢は、シンガーソングライターでした。拳銃をギターに持ち替えて、二人で歌を唄い始めたのです。
グループ名は、『エリーゼ』。
それからの私の高校生活は、放課後、ギターを持ってテツオの家に行くのが毎日の日課となりました。基本的なギターコードを覚えると、すぐにオリジナル曲を作り、所構わずライブをやりました。
音楽への【愛】は、どんどん膨らみ、寝ても覚めても音楽!テツオは、ピアノも弾くようになり、いよいよ才能を開花させて行きました。
そして、当時、プロの登竜門として名高かったヤマハのポピュラーソングコンテスト、通称『ポプコン』に、私達『エリーゼ』は、なんと初挑戦で一次審査を通過、東京ブロック大会の華やかな舞台を踏むことができたのでした。この時、次のステップへは進めませんでしたが、夢に一歩近づいたと思えました。
この時のエントリー曲は、世間に流されず【愛】をつらぬいて【勇気】を持って思いのままに強く生きるテツオの強烈なメッセージソング♫『明日の大地を踏みしめて』でした。この歌の歌詞に、こんな一節があります。
♪何かにおびえながら 生きて来たけれど
そんな君の生き様で 今日を終わらせるのか
何かを偽りながら つまずき来たけれど
生きるという事のために 君は何を捨てられるか♪
私は、この歌を一緒に歌っていたのですが、結局何も捨てられませんでした。捨てる【勇気】が無かったのです。高校卒業にあたり普通に大学進学を選んでいました。
その後、大学を卒業した私は、テレビ番組制作会社に就職。テツオは、膨らみ続ける音楽への【愛】のために、生活をアルバイトで支えていました。その暮らしは、とても不安定で貧乏でした。が、にもかかわらず結婚をなんと3回もしました。
1回目は、同窓会で再会した中学時代の学年イチ優等生の女の子と。優等生ゆえにテツオのハチャメチャさに惹かれ駆け落ちまでしたけれど、不安定な生活に付いて来いけなくなり、ある日、テツオを置いて家を出て行ってしまいました。
2回目は、暴力夫から逃れたばかりの3人の子を持つ女性と。この女性は、テツオに音楽活動に専念させるためアルバイトを禁止し、自分が懸命に働いて3人の子どもとテツオを養いました。けれど結局、仕事をサポートしてくれる別の男性の元へ行ってしまいました。
全力で愛した人、信じた人に次々と裏切られひどく傷ついたテツオを救ったのが、3回目の結婚相手のミカさんでした。テツオが音楽を担当した小さな劇団の看板女優でした。もちろん、その劇団の演出家は、怒った怒った。テツオとミカさんは、即出入り禁止。それでも二人は幸せいっぱいでした。
二人は、ホント〜に仲が良く、いつでもどこでも誰が見ていようがいまいが、しっかりと手をつないでいました。手をつないでいるのが普通の状態なのです。
この時から、テツオのアルバイトを探す時の第一条件は、夫婦二人で一緒に働ける仕事であること。トイレは別々でも、シャワーは二人で一緒に入ります。アパートに風呂は無く、通うコインシャワーでは、お金を節約するために二人一緒に入っていました。そんな貧乏な生活をテツオとミカさんの二人は、むしろ楽しんでいたのです。
お金は無くとも【愛】に満ち満ちた毎日を送るテツオは、当時、私が、仕事を理由に妻を一人家に置いて留守ばかりしていたのを見てよくこう言いました。
「ナカチャ(彼は私をこう呼んでいた)、夫婦は、一緒にいないと意味が無いだろ。」
テツオとミカさんの幸せな結婚生活が4年ほど経った頃、とんでもないことが起こりました。最愛の妻、ミカさんに癌が見つかったのです。摘出手術が決まり、2007年11月に入院。そのため休み無しで働くようになったテツオが、私にこんなメールをくれました。
テツオのメール:
「原点を見つめ直す時が来ているのかもしれないな。しかし生きて行くためには金がいる。必ずここで足踏みするしかなくなってしまう。悔しいな・・。」
「歌で食えないかな しかも勝手気ままに…」
「7〜8時間の大手術になるそうだ。何でも良いから早く元気になってくれさえすれば何もいらないと祈る毎日だ。」
祈りは届き、手術は成功しました。テツオは、数時間にも及ぶ通勤時間を削るため、そして出費も抑えられるからと住んでいたアパートを引き払い、休み無しで働く職場近くの公園に車を停め、その中で寝泊りを始めました。
テツオのメール
「野宿生活の方は充実して来た。楽しくやっている。問題なのは休みだ。体力も限界に近い。」
ミカさんの入院は、5ヶ月に及びました。その間、テツオが病室に行けない日でも電話やメールで毎日欠かさず話をしていた二人でした。
ところが、退院までついにあと1週間という時になって、突然、テツオと連絡が取れなくなりました。携帯に電話をかけても、メールを何度送っても反応がなくなってしまったのです。
1週間後、ミカさんは、退院してすぐ、警察官と一緒に、公園に停めてあるはずのテツオの車を探しました。見つけた車には、中から鍵がかけられていました。警察官がドアを開けると、そこに血を吐いて倒れているテツオの姿がありました。その遺体は、既に腐敗が始まっていたといいます。
警察は、過労による病死と断定しました。命日は、連絡の取れなくなった3月25日ということになりました。
ミカさんを守るため、【愛】をつらぬくために【勇気】を持って戦い続けた、テツオらしい【愛と勇気】ある最期でした。
「テツオが【愛】をつらぬくために【勇気】を持って戦い続けている間、親友である私は、いったい何をやっていたのだ‼︎ 中学卒業の時もそう‼︎ 高校卒業の時もそう‼︎ しまいにはテツオを一人で死なせてしまった‼︎ 俺は何やっているんだ‼︎ 」そんなことを考えながらテツオとのメールのやり取りを見直していると、こんなメールを見つけました。
テツオのメール:
「違う選択をしていたら今より幸せだっただろうか?そんな事はない。いつだってより良くしようとして決断しているのだから。」
あれから11年後の去年4月、11年間ずっと連絡すらできずにいたミカさんに【勇気】を出して会いに行きました。
11年ぶりのミカさんは、少し歳をとった感じはしましたが、とても明るく元気で変わらない様子でした。喫茶店に入り近況やら世間話やら思い出話やらを1時間半ほど。話をしながらテーブルの上に置かれたミカさんの手に何となく目が留まりハッとしました。なんと左手の薬指に結婚指輪がつけられていたのです。聞くまでもなく、再婚したわけでは無く、それは死んだテツオとの結婚指輪でした。
胸がギュッとなりました。ミカさんは、11年経った今でもテツオと一緒にいるのです。テツオの姿は見えなくても、いつでもどこでもミカさんは、テツオと手をつないでいるのです。しっかりとテツオの【愛】を感じているのです。だから幸せなのです。だから彼女の口から夫に先立たれた悲しみや苦しみ、泣き言を聞かされることは一度も無かったのです。
テツオの【愛と勇気】は、今も生き続けていたのです。
【愛と勇気】を持つことで、世間のシガラミや面倒なことや不愉快なことから解放され、自由な心のままに伸び伸びと生きることができる。今では、そう確信しています。そして、そうした人が、この八ヶ岳周辺には多くいると実感しています。もし今、テツオが生きていれば、彼も間違いなくここ八ヶ岳の麓でミカさんと仲良く暮らしていることでしょう。