いつ頃から持ちはじめたのでしょう、
手作りの職人、クラフトマンへの強い憧れと羨望、、、
こんにちは、はやしです。
「八ヶ岳クラフト市」
夏と秋の年2回、すでに22回開催されている全国的にも大変人気の高いイベントです。
僕が八ヶ岳クラフト市の存在を知ったのは確か6、7年くらい前、まだ東京に住んでいて八ヶ岳に遊びにきていた時のこと。道端にひっそりと遠慮がちに立っていた素朴な看板を見つけ、「あ、八ヶ岳でもクラフトのイベントがあるのか」と知ったのです。
その頃はまだ「クラフトフェアまつもと」くらいしか行ったことがない所謂フツーの旅行者でした。結局その年、八ヶ岳クラフト市訪問は叶わず翌年ついに訪問が実現、あの立て看板の佇まいから、こじんまりした感じなのかな〜と思っていたのですが、駐車場は大混雑、会場についたらテントがずらりと立ち並び良い意味で期待を裏切られて1日芝生で家族&友人と満喫したのを今でも鮮明に覚えています。
さて、「ワニ」です。
見た目が鰐に似ているから、そして一度くわえたら離さないというところからきているんでしょうか?
今から遡るコト10年前、2008年から通い始めた手作りの靴の学校で使っていた特殊な工具です。主に「つりこみ」という革を木型に合わせてグイッと引っ張って形を作っていく工程で使うのですが、今では昔ながらの手作りの革靴でしか使うことはないもの。愛らしい形をしているんですが、職人さんの求める機能を追求した結果の必然的な形なんですね。革を引っ張る、釘を打つ、抜くがこれひとつでできます。
そもそもなぜ手作りの靴の学校に通い始めたのか?
暇だった、
いやいやその頃、足底筋膜炎という足の裏の痛みに悩まされていて、「自分の足に合った靴ってどうすれば手に入るのかな?オーダー靴とかはとっても高いし、、、」、「でも自分で作るとか無理でしょ、探せば教室とかあるかもしれないけど、できるわけないじゃん、手先も器用じゃないし」とか色々思いつつネットで色々検索していたら見つけたのが「モゲワークショップ」
暮らしは手の「作・業」で創るもの、決して「手・技」で創るものではない。大昔から人は皆、手の所作で器用不器用にかかわりなく、自らの手で暮らしの豊かさを紡んできた。手づくり靴は「不器用も才能のうち」でいいのである。自分の手で、生活になくてはならない用具を作ってみよう。
そこにはこんな言葉が綴られていました。
早速見学を申し込み、その時のモゲさんの「おにぎりがにぎれれば大丈夫」という言葉に後押しされ、僕の靴づくりはスタートしました。
初めて作ったのがこちらのバイク用ブーツ。写真だと分かりにくいですが、縫い目ヨレヨレで先生にも大分手伝ってもらってます。この1足目だけがミシン縫いです。
おにぎりがにぎれれば作れます(笑)
気がつけば丸3年通い、8足の手作り靴を作りました。我ながらよく続いたなと思います。しかし一枚のなんでもないベローンとした革が、こうやってちゃんと靴になるのはちょっと感動します。決して美しい仕上がりではありませんが、不器用でもやればできるもんです、あきらめたらできない、そんな当たり前のことを学びました。
3年間の集大成として最後に作ったワークブーツ。
ミシン縫いが嫌い(ヘタとも言います)だったので、ほぼ手縫い専門だったのですが、8足目ともなるとさすがの不器用でも結構上手になってますね、我ながら。
「頭を働かせることばかりしてきた現代人にとって、手を働かせ、手で考えるコトをはじめると、今まで知らなかった自由な風景が目の前いっぱいに広がって、手がいろいろな可能性を導いてくれるはず。とにかく、作って見ること。単に靴をつくるだけなら靴教室でいいでしょう。ただ靴の本義をないがしろにして、技芸技能だけを競うのではなく、あくまで、手づくり靴を媒介にして、何を感じ、何を考えるべきかを一番大切にしたいと思っている。思う生き方、望む仕事、願う暮らし、をできるだけ思うがままにつくっていく。そのような想いが暮らしの中心にすえる様式が普遍になるはずだと・・・その思いを手づくり靴にたくすコトになる。」
という言葉もモゲさんは綴られていました。
その言葉の通り、まさにこの3年間は靴づくりを習っているというより、人生について学んでいる気持ちが強かったのを今でも覚えています。そして、こうして振り返ってみるとこの3年間の経験が、今の八ヶ岳暮らしに色濃く繋がっているのは明らかですね。
次の世代へとつながっていく暮らし方のきっかけとなるようなコトを、少しでも多くの方に伝えられればと、夜空に輝くまあるいお月さまを見上げながら思った八ヶ岳の夜です。
3周年記念にいただいたワニのピンバッジ