日本では、死は忌み嫌うもの。縁起でもない・・・という風潮はまだ残されつつも、団塊の世代が高齢化して、終活やエンディングノートなど、死を想う会話も増えてきたように感じます。
でも、自宅で人が産まれ、亡くなっていたのが、1960年代後半くらいから、病院という場所に移行しはじめ、隔離され、大人になっても、高齢になっても、生まれる姿も死ぬ姿も見たことも聴いたこともない未知なもので、恐れられてしまい死生観が確立できないままになってしまうことが多い現状の気がします。
命の始まりと終わりに想いを寄せてくれる内藤いづみ医師
産まれるとき、亡くなっていくとき、厳かな透明な瞬間、そこに寄り添う助産師、医師の研ぎ澄まされた感覚、お産前後や看取り前後に起きる本人の混乱や家族の葛藤、そこから結ばれる深い絆・・・内藤いづみ医師は相反するものの中に同じものを感じ、看護師としてお産と看取りをしてきた時の問いを求めて、13年前にこの「産声をあげるとき息をひきとるとき」のタイトルのトークセッション企画した時にお招きした一人。
甲府ふじ内科クリニック院長で、在宅ホスピス医として活躍されている先生です。(もう一方の吉村正医師のことは5月号へ)お二人とも賛同してくださり、活動を応援してくださいます。
内藤先生は、ガン告知はタブー、ホスピスの言葉も一般には知られていない時代にイギリスに渡り、学びを重ね、イギリス人の夫と3人の子育てをしながら30年以上、患者さんだけでなく、家族を支え、その周りの方々を繋げ協力しながら、看取りをされています。
多くの著書もあり、全国に講演にもお招きされていて、5月にも諏訪中央病院のほろ酔い勉強会で講演なさいました。諏訪中央病院の鎌田實先生とも旧知の仲、諏訪中央病院や大町総合病院、全国の後輩医師たちも大切にされていて、共に学んでいこうと激励する愛とエネルギー溢れる方です。
『いのちを生きる』を感じるお話
内藤先生のお話って、看取りの話だし、死の話だから暗いんじゃないの?まだ私には早い?なんていうのは全く心配な~いのです。本も講演も、ユーモアもあって、綾小路きみまろバリに大爆笑もあれば、ホロリとあたたかな涙も溢れます。先生が看取られた瑞々しい日常を過ごされ旅立っていった方々からのメッセージもいっぱい詰まっています。そんな中で自分のこと重ねたり、泣いたり笑ったり胸が痛くなったり、考えさせられたりします。死に方看取り方というノウハウでもなく、「生きる」を感じるお話です。
その人らしく生き、旅立つ力を見守る
限りある命を自覚して、お家で家族と生活したい(畑仕事をしたい、大好きな競馬を楽しみたい、妻との時間を楽しみたい、いつも通りの毎日を過ごしたいetc)と希望された患者さんの願いを叶えるために、まずは病気の現状をしっかり把握して、必要な治療や的確な薬剤の調整で痛みをコントロールし、家族の状況や生活動作をみながら、様々なケアマネやサポートを調整して、できる限りの快適な日々を過ごせるようにしていきます。
いってきます、ただいまの声、台所から漂う匂い、住み慣れた部屋の光、家族の気配、庭の花や、鳥たちのさえずり、窓から入ってくる風、日常がどんなに幸せに満ちたものなのか・・・
ご本人もご家族も実感しながらの日々。だんだんとお別れの日に近づいていく中も、苦しく見えるその姿も大事ないのちの終わりのものとして、最期の旅立つ力、看取る力をしっかりと尊重し、深い信頼で見守っています。
人が産まれるとき、陣痛の波を越える産む力と生まれてくる力を発揮することができるように見守る医師と助産師のように、肉体、この世から旅立つための陣痛の波を内藤先生も見守っていきます。内藤先生は、講演で「私はあちらの世にその方を送る助産師ならぬ助死師なのかも(笑)」とお話されていました。
つながるいのちの仲間たち
そんな風に看取った患者さんのご家族とは、お互いに支えあって乗り越えた同士という深い信頼関係を築かれています。家族との別れや看護は時にツライ、寂しい、悲しい、だけど、精一杯ともに過ごせた、見送れた、ありがとうと伝えられた・・・それが遺された家族の方々の誇りになり、力となり、笑顔が浮かびます。そして亡くなった後もこのご縁は繋がれて仲間になっていきます。
八ヶ岳の麓の諏訪中央病院も愛ある熱い志の医師看護師たちがいっぱいいます。もちろん別の病院でがんばっている方々も、生きる私たちも、垣根を越えて・・・みんないのちの仲間たち。いのちの架け橋、種まきしていきたい「産声をあげるとき息をひきとるとき」トークセッションを実現させたい!です。応援協力お願いします。