個人活動としては農業専門サイト「つちとて」を運営(休止中)。合気道初段(絶賛修行中)でもある。
こんにちは。ヤツガタシゴトニン ライターの町田です。
このブログでは八ヶ岳に関連する書籍を紹介しています。
3冊目となる今回は芸術家・岡本太郎さんが巡った全国の祭りを集めた『岡本太郎と日本の祭り』です。これを読んだら、きっとあなたもスマホを放り出して、爆発したくなってしまうはず。さあ、あの溢れ出すエネルギーのルーツに迫りましょう!
まずは岡本太郎を復習
「芸術は爆発だ!」の名言でも有名な岡本太郎を知らない人はいないでしょう。でも、自分も含めて、おさらいの意味も込めてプロフィールを載せておきます。
岡本太郎(wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/岡本太郎より)
岡本 太郎(おかもと たろう、1911年(明治44年)2月26日 – 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の芸術家。血液型はO型[1]。 1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流(ただし合流はしていない)した。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも1950年代から積極的に出演した。
参考:「川崎市岡本太郎美術館」(http://www.taromuseum.jp/introduction/introduction.html)
「太陽の塔」や「明日の神話」はあまりにも有名です。我が家にも太陽の塔(ミニチュア)があります。
『岡本太郎と日本の祭り』について
2011年に二玄社より出版された本著は、昭和三十年代を中心に岡本太郎が記録に留めた日本の祭りを、川崎市岡本太郎美術館開催の企画展「太郎の祭り」での展示をもとに再構成しています。
『岡本太郎と日本の祭り』目次より
- 東北(青森県・秋田県・岩手県・山形県)(恐山(イタコ・オシラさま・淡島さま)下古川の虫送り ほか)
- 甲信越(長野県・新潟県・岐阜県)(諏訪の御柱祭;野沢の道祖神祭り ほか)
- 近畿(京都府・奈良県・和歌山県)(葵祭;祇園祭 ほか)
- 中国・四国(島根県・広島県・徳島県・高知県)(出雲大社例祭奉納行事;壬生の花田植え ほか)
- 沖縄(石垣島の山羊焼き;川平の獅子舞 ほか)
岡本太郎と御柱祭
2章のはじめに諏訪・御柱祭を訪れた際の写真と手記が載せられています。元は『芸術新潮』「諏訪 御柱祭」(1980年7月・新潮社)に掲載された内容からの抜粋になっています。
ここには御柱祭のおそらく山出しに参加した際と、木落としで目の当たりにした生々しいまでの情景が書かれています。たった見開き1ページにも満たない文章なのに、岡本太郎が取り憑かれるように御柱祭に魅せられている様子が読み取れます。
「御柱の通った道筋には、べったりと、残酷になま木の痕。裂けた木片がこびりついていたりする。
野を超え畠を超えて、引きずられていく御柱。私にはまるで生きもののように感じられた。」(同著 P54)
そして命が交錯する祭りの現場を目撃した岡本太郎は最後に
「『御柱祭』の一連のドラマは、まさに運命のサイクルだ。」(同著 P55)
と括っています。
よく知られている通り、岡本太郎にとって、芸術活動の原動力のひとつが縄文文化であり、日本各地に伝わる伝統文化や風習にありました。
その中でも「祭り」が持つ非日常性と芸術との親和性は高かったのではないでしょうか。本著に載せられた祭りには、あとがきでふれられているように岡本太郎が目指したテーマである「人間本来の姿」が強力なエネルギーとして渦巻いています。
歓喜の爆発
ただのオマージュやインスピレーションを受けるだけでない岡本太郎らしさが前文から読み取れます。それは現代社会に対する鋭い指摘です。
「祭は人生の歓び、生きがいだ。ふだん人は社会システムにまき込まれ、縛られて真の自己存在を失っている。だが祭のときにこそ宇宙的にひらき、すべてと溶けあって、歌い、踊り、無条件に飲み、食らい、全人間的なふくらみ、つまり本来の己をとりもどすのだ。歓喜の爆発。」
ここでは観光資源と化した祭りに対する嫌悪感や、夜の盛り場、劇場や映画館など小出しに切り売りされ、日常化している現代の祭りに「空しさが残るだけだ。」と言いつつ、最後には
「衝撃的なチャンスとして、すべての人が身をもって参加する祭を創造したい。これが本当の人生であり、芸術であるからだ。」
と言っています。
岡本太郎が歓喜した、御柱祭を目撃しませんか?
今年も春になると御柱祭が執り行われます。岡本太郎がみた、昭和30年代の祭りの純粋さは失われつつあるかもしれませんが、それでも7年に一度の御柱祭には古来から受け継がれてきた神聖な空気が残っているように思います。
祭りは「衝撃的なチャンス」です。そして「本来の己をとりもどす」ときです。どうですか、あなたも、岡本太郎が歓喜したエネルギーを感じてみませんか。