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こんにちは。長野県も梅雨明けしましたね。
いよいよ短くも濃い、八ヶ岳の夏が到来です!映画祭やマルシェ、朝市、花火、、、、。いろんなイベントが本当に盛りだくさん。待ってましたとばかりに、いそいそと浮き足立ってしまう季節です。働き蜂の様にブンブンと、あっちのマルシェ、こっちのナイトイベントと、慌ただしく飛び回る季節ではないでしょうか。かく言う私も例外ではありません。アワアワしてます。
そこで!今回はまず、腰を落ち着けて。涼しい木陰にでも入って。のんびりと読んでいただく内容にしました。いつものアーサナもひとまず置いて。
知っているようで知らない、ヨガのそもそも論にアプローチしてみましょう。
「で、そもそもヨガって?」
そうです。
なんなの?ヨガって。
いつ誰が始めたの?
ストレッチとの違いは?
紐解くと面白い、何気に縄文文化と繋がる気配?私見も大いに含めたヨガ論、超ざっくりとですが、早速始めてみましょう。ささ、まずはナイスな木陰に入って。。。ナイスな飲み物も用意しましょう。
ヨガの歴史
インダス文明(BC約2500年?)の頃作成と思われる、ヨガのポーズを行う行者を刻んだ石が見つかっています。「ヨガ」という言葉が出てくる最も古い書物は、約BC800年の「タイッティリーヤ・ウパニシャッド」と云われています。インドの哲学の1つ、ウパニシャッド哲学の文献でもあり、この哲学の主な思想は以下の通り。
「1なる絶対的実在、または意識、即ちブラフマン(brahman)が全宇宙の根底にある」
この1なる絶対的実在とは?、、、、
く~~~~っ!!ぐっときます。 ←あら、私だけ?
これを語るにはここでは到底足りないので、いつか皆さんと語り合いたいものです。
ヨガとは?
その質問にズバリ答えている重要な文献を紹介いたします。
ヨガを続けていると、いつかどこかで巡り会う1冊。その名は「ヨーガ・スートラ」。
約BC600年。つまり今から約2,000年以上も前に賢者パタンジャリが編纂したこの文献は、最も有名なヨガの経典の1つです。私も繰り返し読んでいるこの「ヨーガ・スートラ」には、なんと、冒頭にその答えが用意されているのです。もったいぶらないところが潔い!かっこいい!!
で、ヨガとは?(、、、、ゴクリ。)
答え
『ヨーガとは、心のはたらきを止滅することである』(”Yogas chitta vritti nirodhah”)。
はいここ重要~!
「死滅」ではないのですね。「止滅」するのですよ。
そうなのです。
無情、非情になれ、というのではないのです。むしろ逆です。
「心」とは「感情(ハート)」ではなく、「思考(マインド)」のことを指しているのです。パタンジャリは、「幸福な者に対しては(妬みのない)友情(すなわち慈)を、苦しんでいる者に対しては哀憐(すなわち悲)を、善行者に対しては喜び(すなわち喜)を、悪行者に対しては(怒りのない中立の心である)無関心(すなわち捨)を。これを修習することによって、(ヨーガ行者の)心は静澄になる。」とも説いています。
「ヨガとは、静かな(穏やかな)心を保つこと」なのです。
そうであったか~~~~。ふ~む。
つまり、ヨガのポーズを取るだけでは、片手落ちなのです。ポーズを取っているだけでは、ヨギー(ヨガを行う者)ではないのです!その先にある、「心の安寧や、本当の自分自身との対話」を目指す者こそが、真の意味でのヨギーなのです。
もっと言うと、ヨガのポーズを練習してなくても、自分が心地よい穏やかな状態にいられる何かを知っている者、そこを目指す者は全て、ヨギーなのではないでしょうか。お料理、農業、絵画、音楽、登山、サーフィン、陶芸、手芸、、、。「自分を心から穏やかでハッピーな状況に置けるもの。それらは全てヨガである。」そうも言えるのではないでしょうか。言っちゃっていいっすか?いいですね?うむ。
ただ、この地球でいろいろな事を経験し、穏やかに、ハッピーに生きていく為には、自分の魂の大事な乗り物である「身体」を慈しみ、整える。これは誰にとっても重要ですね。アーサナはその絶大なる手助けをしてくれるでしょう。
次号「その2.」に続く。
引き続き木陰でのリラックスタイムをお楽しみ下さい☆
参考文献
YOGA MALA /シュリ・K・パタビジョイス(著)
カタ・ウパニシャッド
インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ) /スワミ・サッチダーナンダ (著)
YOGA YOMU vol.52